初めまして。このブログを見て頂いて有難うございます!
Tiiを作った原田タカヒロです。
ここでは僕の生い立ちを書かせていただきます!
長くなりますが、軽い気持ちで読んでくれたら嬉しいです!
出身は大分県大分市でひとりっ子です。現在は妻・子供2人と暮らしてます。
現在は大分市南大分にある【Tii】という美容室でオーナーをしております。
中学入学〜
中学入学の後から少し色々あってですね、、6月くらいからかな。
ちょっとここでは書きにくい内容で、会ってもない方達に可哀想と思われるのも嫌なので、、聞いてみたい方はお店で尋ねて下さい。今では全然言える内容なんですけど。
煽りみたいで申し訳ないですけど、、まぁまぁな中学1年〜2年を過ごしてきました。ちなみにイジメられてたとかイジメてたとかじゃないですよ。
中学2年3学期からハンドボール部に
なので、その後から振り返りますと、中学2年の3学期から高校3年まで部活でハンドボールをやってました。
なぜ2年のしかも3学期からなのかというと、しっかり覚えてはないのですが特に仲の良い友人でもないしクラスも一緒でもない男となぜかその日2人で帰ってて、『部員少ないんじゃ〜ギリギリなんよ、お前やらんか?』と言われ『じゃあやるか、いつから行けばいいん?』っということでその日から練習に参加しました。軽い気持ちで始めたのに5日後に地元の小さな大会があるから出るぞ、、みたいな感じで入って5日ですぐに試合に出され1点決めたんです。
よく分からんけどそれが嬉しくて、
多分前述してたような時期があって、ずっと日々曇りがかってたんですけど、
誘ってくれた友人は僕を誘ったことも覚えてないくらいで、ホントなんとなくその程度だったんでしょうけど、僕にとってはその一言、誘ってくれたおかげでその後の中学生活はだいぶ楽しく過ごせました。
なんとなくやり始めたのに楽しくワイワイやれて【ハンドって楽しいな〜】っと思ってました。中学は九州大会で沖縄にも行けたし。半年しかやってないけど。
高校時代〜ハンドとバンドと受験〜
中学を卒業した後は公立の雄城台高校に進学しました。その時期だけ勉強はぼちぼち出来てたし家から近いしハンド部もあるしって事で無事入学。
しかし、中学時代とはうってかわって地獄のハンドボールの日々。
僕たちの入学と同時に入られた平井先生という人が熱すぎて雄城台高校では鬼の練習の日々を過ごしました。
ハンド界隈では知らない人はいないであろう平井監督。
今では落ちついてきましたけど、当時26とかじゃないかな〜元気盛りの平井先生はまさに鬼鬼鬼。
練習中、試合の写真が無いです。そんな余裕ないです。これは多分練習帰りのやつ。
僕達の代はダメダメでしたが、1個下の後輩達は雄城台初のインターハイに出て、2個下は全国3位になって、もっと後には国体も優勝したりと、今では雄城台高校は全国レベルの強豪校になってます。
この3年間で強靭なメンタルを取得しました。どう練習をこなすかを考える日々、、どうやってやり過ごそうか、、とにかく放課後の部活が地獄。
暴力は一切なかったけど、圧倒的な【圧】に耐え抜く日々。
でも、コーンくらいは投げられてたかな。
練習を止めて当時のエースを叱ってる時に、先生はコーンを投げたんですけど、飛んできたコーンをエースが避けたら、先生が『おいっ避けるなよ!』ってマジで怒ってたのは今となっては笑い話。
ハンド部員は同級生にも同情され、先生たちにも『お前たち、、むげねえな、いつか報われるさ、、』っと引かれる日々。
今振り返ってもこの時期が圧倒的に体力的にも精神的にもキツかったです。
【やりたい事をする為に、やらなければならないことを続ける】のではなく、
【逃げ出したくて辞めたいのに、辞められないで続ける】っていうのはきつかったです。
なので、引退した後は心が解放された感覚があって、友達と勉強もせず、いたずらに時を過ごしてました。
でも、そんなめちゃくちゃ部活に犯された日々なのにバンドマンとしても活動してました。
バンドではベースを弾いてました。
違うクラスの男子にベースがいないからやってよ、、と言うことで、それまで1人でギターしかやってなかったんですがギターはバンド内に2人いたのでベースをやる事に。
誘ってくれた園田くんはプロのドラマーとして今でも音楽で生きていってます。
部活とバンドの両立、ライブの日はどんな理由つけたか覚えてないけど部活をサボってライブ。
サボる時の電話をかける時のドキドキ感っと言ったらありゃしない。それは覚えてる。
で、3年次は国立理系クラスだったんですが、、、センター試験は受けたけど大学受験はしてません、、なぜなら、、、
センター試験数学で4点!奇跡!!
マークシートで4点とか確率的にもありえない結果ではなかろうか。
どこも受けられないし受けても取ってくれません、汗
美容師に決めた理由とは、、
公務員はやだな〜スポーツも飽きたな〜医療系なんて怖いしな〜。私立大なんて金銭的に無理って言われて、国立大は数字が足りない、、
工場に勤める??空気悪そう、いやだ。
みたいに、したくない仕事を削っていって消去法で残ったのが、
美容師です!
夢とかなくてスイマセン!
『美容師になるのが夢だったんです〜。いつか自分の店を持つのが夢です。』、、、みたいな夢を持ってなかったし憧れもなかった、、
けど、、【仕事をしに美容界に入った】ので、
やめたいと思ったことは一度もありません!
仕事として真剣に毎日やり続けてきました。
美容学生時代
ふざけた写真ですいません。
美容学生時代は学校にバイトに刺激的な毎日を過ごしてました。
バイトはパルコの地下にあったカラオケ屋でバイトしてました。
当時の時給650円。山椒より痺れるでしょ。それでも十分楽しめましたけど。
夜中2時3時くらいまでバイトで朝は片道30分原チャ乗って9時に学校。
そんな日々をこなしながらも技能五輪というコンテストで全国3位になりました。手元に写真ないんで、そのうち実家帰った時に写真を撮って載せます。
そんな感じで調子良く入賞したりもあり、奢るまでは無いけど「美容師余裕やん。」みたいな感覚は正直に持ってました。
、、、今振り返ると学生だからそもそもその時は美容師でもないし、、
何言ってんだコイツ??って感じですね。
東京サロン時代〜忘れられないエピソードとアシスタント時代
卒業後は東京のサロンに就職しました。若気の至り。やるなら大都会で、、それだけの理由で決めました。
たまたま東京行きの飛行機の中で幼馴染と一緒になり、『原田はどこで働くん?どこにすむん??』みたいな話から友人が『俺は今年から大学のキャンパス変わるんよ〜』って聞いてたら僕の職場と同じ沿線に通うらしいので、飛行機の中でルームシェアが決まり幼馴染3人で最初は川崎に暮らしてました。川崎って言っても渋谷から電車で20分くらいの宮崎台ってところで暮らしました。
初めての美容師生活開始!!
当時のサロンはスタッフの人数12人くらいはいたかな?お客様も多かったので大変なサロンでした。15席を4,5回転くらい回して〜みたいな。
ここで美容師余裕やん!っていうマインドが壊されます。
なんと、体育会系サロン!声出せ〜みたいなサロン。
嘘やろ??
エレガントやビューティーのイメージとはかけ離れたサロン。
9時から21時まで営業、終電過ぎまで練習。
休みの日も練習しに夜に店に出るという令和の人達からすると耐えられないかも、、っていう日々。
まさに、フィジカル系サロン!!
そして忘れられないのが入社して1週間経っての歓迎会でのエピソード。
働き始めて初めての日曜の営業後に僕たち新人の歓迎会するからって事で近くの公園で花見をすることに。
途中長くなるんで端折りますが、花見に出る前に僕が2つ上の先輩にマウントポジションを取られてボコられるっていう事件が起こり、、
女性スタッフたちのキャ〜っという悲鳴、、『やめて〜◯◯くん〜!!』
その後、殴られ続け体感10秒後くらいに、
『おいっ!◯◯!!テメェ、新人に何してんだよ!』って店長が先輩を蹴り飛ばして、今度は店長が先輩に乗っかって殴る殴る、、、
店長が先輩を泣くまで殴った後、僕に謝らせ、その後何もなかったのように全員で花見をするというカオスでプリミティブな歓迎会でした。
まさにこれこそ、physical salon!!
ちなみに僕はもっと上の先輩の準備のお手伝いをしてて『少し待ってて下さい!〜さんの手伝いをしてます』って言ってただけなんですけどね。
こっちが終わったら向かうって言ってんのに何回も僕を誘うから何回目かの返事の語気が強くなったんでしょう、、それで怒らせてしまいました。
こんな面白い歓迎会を受けたのは美容師の中だと僕だけだと思います。
歓迎会の話は終わり、、日々の過ごし方は家に帰ったら寝るだけの日々。
あの辺3年間の世間の情報が記憶からとんでます。思い出そうとしても民主党政権だったことと、島田紳助が引退したことくらいしか記憶にないです。
余裕がない。ハンド以上に毎日ついていくのに大変でした。
学生時代と違うのは職場に友人なんていないということ、
友人と一緒に住んでるとはいえ衣食住はそれぞれ自分1人。
常に自分1人で考え進むしかない状況。それが最初はキツイ。
学生時代にちょっとできるからって、つけ上がってた僕なんかより器用なやつもメッチャいるし、競争が激しかったです。上手く昇格試験が進まずヤケクソになってる時もありましたね。
『2度と俺の客に入るなよ!』っと叱られることも。
しかしながら、お店にはアシスタント指名っていうのがあって、、いわゆるシャンプー指名。
必死にシャンプーして上手くなって指名増やしてエリアで1位とか数回は取ってました。
東京を離れる。
きつい生活も1年2年とやってたら慣れますし、それなりに頑張ってカットの練習に入ってたんですが、3年目の夏に実家の母の体調が悪くなったのと、東京で働く意味を感じなくなってきたのもこの時期で、
そもそも、なんとなくで決めた東京行き。そんな理由で続くわけもなかったんです。
それと、僕が働いてたサロンの価格が田舎とそんなに変わらないことに気づいて、というか働き始めた時から気づいてたんですが。
大分の市街地エリアより金額が低いサロンがいくらでもあるんです。
【なんか違うよな〜】っと。
だったら田舎でいいじゃん、みたいに思うようになってきて。家族いるし、地元の友人もいるし。
まとめれば、なんとなくで来ちゃったもんなので、【逃げ帰る】という選択を選びました。
帰省〜大分で働く。
フィジカルサロンで約3年働いた後、大分に戻って1ヶ月しっかりニートを味わい、大分市内のBOOMというサロンに就職しました。
ブリーチ中の一コマ。
バリバリのトレンドサロン。帰ってきて就職してすぐアフロートの宮村さんの講習があってビックリしました。
当時のカリスマ美容師です。
一般の人達はあまり知らないだろうから凄さを例えますと〜、
普通の高校の野球の練習に大谷さんが教えに来てくれるようなもんです。
田舎なのにすげえな〜って思いました。
宮村さん含め原宿のboyとか新潟のSNIPSとか毎年すごい美容師さんを呼んで講習会を開いてました。
2017パリコレクション参加
当時、BOOMでは仕事の一環として毎年1人、海外で勉強しにいってくださいっていう待遇があったんです。
僕が入社してからはハワイ、韓国、イギリス。先輩方はそんなところに行ってました。
で、2017年冬に自分に回ってきて〜タイミング・運が良かったといいますか、
パリだったというか、、しかもパリコレ。
コムデギャルソンとfacetasmの2ブランド。。

えっ。川久保玲と仕事するの??
当時の社員の中ではファッションに多少知識があって活かせそうなのが僕だからっていうことで選んだと。。感謝。
ん〜楽しかった。パリの文化が。全然生活様式や常識が違う。外国どこでもそう感じるでしょうけど。
美容師的に勉強になったのは表現力とかビジュアルとか技術とかじゃなくて、
美容師達のプライド・雰囲気
気高く仕事してる感じ、自信がみなぎってる感じ。
俺がやってるから良いに決まってる、、みたいな感じ。
個が強い。本田圭佑が言ってるじゃないですか??
【世界と戦うには個を伸ばす】って。あの感じに近い感覚といいますか。。
舞台裏もメイクとヘアーでモデルの取り合い。
『少しメイク修正したいんだよ、あのモデルよこせ!』『はぁっ?メイクなんて見えねえだろ?あとあと!髪が先だからな?』みたいなの言い合い。汚い言葉も乱立ww
協調性とかそんなの微塵もない。
でも、日本の協調性とか思いやりとか、言葉で言えばそれは美しいんですが。
現代のそれって上っ面だけなのかな〜とか感じてですね。
真の思いやりとかなくて、その方が周りからの自分の見られ方がいいから、、みたいな、
協調じゃなくて、ただの承認欲求の塊みたいに見えるんです。
自分がよく見える為に思いやってるっていう風に見える。
それって思いやりっていうのか??
やりたい事の言い合い、おもちゃの取り合い、すぐ喧嘩するけど、すぐ仲直り、
そんな子供みたいでいいんじゃない??それでいいんじゃない??
言うべき事・やりたい事を言っていいんじゃない?
だってプロである美容師がそれがベストだとそう言ってるんだから。
そんな事を感じたパリコレクションでの経験でした。
上手くなりたいとか、それは必要当たり前で、それよりも、
もっと美容師ってすごくなれるんじゃない??
美容師としての価値を上げたいっていう気持ちになりました。
美容師ってみんなすごい勉強しているのに、なんか底辺感が感じられるというか、
パリコレ参加以降この想いが美容師としての仕事の在り方の根本にできました。
その後にBOOMwasadaで店長になり3年やって独立しました。
コロナ禍の中で独立。
大変な時期でしたが、様子を見ながらっていう感じで会社にも言っていただいて、タイミングを伺いながら2020年12月に自身のサロン【Tii】を南大分に出すことになりました。
自力で集客の勉強をすることから始め、気になる美容師のオンラインサロンで勉強したり県外にも勉強に出たりと終わりなき旅を今も続けています。
【Tii】という美容室の由来は本にして店頭に置いてるので、来られたときに聞いてみたり本を読んでみて下さい。
どんな美容師なの??ケミカレーションとの出会い
それまでデザイン主体の美容師で、、
トリートメント、そして昨今流行の髪質改善なるものに否定的な美容師だったんですが、
でも何かもう1つ武器を、成長しなきゃな〜っと思ってた矢先に
インスタグラムでたもさんという謎の人物に遭遇し、みるみるうちにハマり、
たもさん主催のケミカレーションという美容師のオンラインサロンで勉強するようになりました。
ケミカレーションでは【縮毛矯正】【髪質改善】【ヘアケア】【スキンケア】【育毛】【健康・アンチエイジング】を学んでいます。
なので、縮毛矯正・ヘナ・香草カラー・アンチエイジングの知識・育毛の知識・身体の健康については強いです。
Tiiでご提案していきたいこと〜日本の淑女を救うすべとは〜
高齢化が進み、病気になる人が増える日本。
40、50、60代に入って、
顔周りの髪が薄くなり、
変なクセがでて膨らむのに、
トップのボリュームは減る、
髪が細くなりパーマもでなくなる、、
ツヤがなくなり、バサつく、
これらが日本の多くの淑女たちが直面するお悩み。
あえて40、50、60代っと書きましたが、
ほんとに年齢のせいなのか??
加齢のせいなのか??
いえ、それだけじゃないです。
20年近く美容師をやってきて、
50代〜70代でもツヤツヤでボリューミーな髪をお持ちの方にも出逢いました。
そんな方々はみんな
- カラーをあまりしたことがない。
- 白髪もヘナで自分で染めてる。
こんな人ばかりです!
そういった事実・経験を経て確信を持って、
香草カラー・ヘナ染め・アンチエイジングケアをご提案します。
【なってからじゃ守れない幸せ】を守る役割
老けたくない。
身体を大事にしたい。
だけど、髪は明るくしたい。
なるべく簡単に気軽に白髪も染めたい。
それでヘアカラーを選択し、すぐに染まって、すぐに悩みを解決できて、すごく簡単に物事が進んでいきます。
しかし、簡単な手段を続けた先には先ほど挙げた、戻れない未来が待っていることも事実です。
【ヘアカラーは人を老けさせます】
- ヘアカラーは髪を明るくできます。
- 髪に彩りをつけられます。
- 簡単に白髪も染まります。
- それにより直近のちょっとした幸せを感じられます。
しかし、
- 40後半から顔の肌がたるみ、肌色がくすみ始めます。
- 40後半から顔周りの髪が薄くなります。
- 40後半からトップがペタンとなります。
- 40後半からツヤがなくなりバサつきます。
- そういった、若い頃にはなかった髪の悩みが増えます。
僕はゲストの方々を
老けさせるのは嫌なんです。
薄毛にさせるのも嫌なんです。
男性もハゲさせたくないんです。
これらの悩みを【なってから解決する】ことはかなり難しいです。
だから、
【なってからじゃ守れない幸せを守る為に】
ヘナが必要です。
香草カラーが必要です。
髪を綺麗にしたいから髪質改善が必要です。
アンチエイジングの知識が必要でヘアケア・スキンケアが必要です。
ヘアカラーはなるべく避けたいです。
【なってからじゃ守れない幸せ】を守る。
【日本を美しく】
以上、長々と書きましたが読んでいただいてありがとうございます。
これからはお店に来てから話しましょう。
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